古典の道
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中宮とは?皇后や女御の違いと歴史をわかりやすく解説

中宮とは?皇后や女御の違いと歴史をわかりやすく解説
たく先生
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こんにちは。「たく先生」です。

受験勉強で古文を読んでいると、中宮や皇后といった言葉が頻繁に出てきて混乱することはありませんか。女御や更衣との違いもあいまいで、物語の人間関係がつかみにくいと感じている人は多いはずです。実はこの中宮という言葉、時代によって意味が大きく変わったり、内侍などの他の役職と複雑に関わっていたりして、意外と奥が深いんです。でも安心してください。ここを整理して背景知識を持つだけで、源氏物語などの古文の読解力はぐっと上がりますよ。

記事のポイント
  • 中宮と皇后の歴史的な違いや使い分けのルール
  • 女御や更衣の身分差と父親の官位による序列
  • 枕草子や源氏物語を読み解くための敬語と背景知識
  • 受験に出る中宮に関する古文常識の必須ポイント

歴史から紐解く中宮の定義と制度

まずは、そもそも「中宮」とは何なのか、その基本的な定義から見ていきましょう。現代の感覚だと「王妃」のような単純な意味に思えますが、実は最初から「天皇の奥さん」という意味だけで使われていたわけではないんです。ここでは、言葉の成り立ちから、平安時代の複雑な身分制度まで、歴史的な背景を整理して解説しますね。

中宮の本来の意味と歴史的な変遷

中宮の本来の意味と歴史的な変遷

「中宮」という言葉を聞くと、最初から人の名前や称号だと思いがちですが、もともとは「建物」を指す言葉でした。具体的には、皇居(内裏)の中にある皇后の住居、つまり宮殿そのものを意味していたんです。これは中国の漢語に由来する表現で、場所を示す言葉が、やがてそこに住む人物への敬称へと転化していきました。

この言葉の意味は、時代とともに大きく変化していきます。律令制が始まった当初は、太皇太后(先々代の后または祖母)、皇太后(先代の后または母)、皇后(今の天皇の正妻)の三人をまとめて呼ぶ「三后(さんぐう)」の総称として使われていました。つまり、特定の誰か一人を指す言葉ではなかったのです。

その後、時代が下るにつれて、中宮職という役所が付随する特定の后を指すようになり、最終的には皇后の別称、あるいは皇后と並び立つもう一人の正妻を指す称号として定着していきました。この変遷を知っておくと、読む作品の時代によって「中宮」の意味が変わることに気づけるようになります。

覚えておこう!
奈良時代には、聖武天皇が自分のお母さん(藤原宮子)を尊ぶために、彼女は皇后ではありませんでしたが(「夫人」という身分)、特別に「中宮職」という役所を置いたことがありました。これが、中宮職が「三后の総称」から「特定個人(皇太夫人など)に付随する機関」へと変化する大きな歴史的転換点になったと言われています。

中宮と皇后の違いや使い分けを解説

中宮と皇后の違いや使い分けを解説

ここが一番ややこしいポイントですよね。「中宮」と「皇后」は、身分としては実質的に対等(同じ)です。どちらも天皇の正妻(正妃)を指します。しかし、なぜ呼び名が二つあるのでしょうか。

平安時代中期までは「一人の天皇に后は一人」という「一帝一后」の原則が守られていたため、「中宮=皇后の別名」として使われていました。この時期は、皇后にあえて中宮職を設置することで、皇后のことを「中宮」と呼んでいたのです。

しかし、ある時期から政治的な理由で「中宮」と「皇后」が制度的に分離され、二人の正妻が同時に存在することになりました(後述する「一帝二后」)。このシステムにおいては、一般的に新しく入内して実権を握っている(天皇に寵愛されている)方を「中宮」、先に后になっていた方を「皇后(皇后宮)」と呼ぶような使い分けが定着していきました。つまり、どちらも偉いけれど、「現役バリバリで実権を持つ正妻」というニュアンスが強いのが中宮だと思っておくと、古文が読みやすくなりますよ。

中宮や女御と更衣の順番と序列

中宮や女御と更衣の順番と序列

平安時代の後宮(女性たちの住むエリア)には、厳格な階級社会がありました。この序列は、本人の容姿や魅力だけでなく、「お父さんがどのくらい偉いか」でほぼ決まってしまいます。残酷なようですが、実家の政治力がそのまま娘の宮中でのランクになったのです。

受験でもよく出るこの序列を、わかりやすく表にまとめてみました。

序列称号父親の身分(目安)特徴・役割
1位皇后・中宮大臣・皇族天皇の正妻。専用の役所(中宮職・皇后宮職)と予算、多くのスタッフを持つ最高位。立后の儀式を経て就任する。
2位女御(にょうご)大臣高位の側室。実家が裕福で権力があり、次期皇后候補となる。専用の殿舎(弘徽殿など)を与えられる。
3位更衣(こうい)大納言以下下位の側室。元々は着替えを手伝う役目だったが、寝室に奉仕する妻となった。後ろ盾が弱く、宮中での立場が弱い。

この表を見るとわかるように、女御と更衣の差は歴然としています。女御は「お妃さま候補」として大切に扱われ、多くの女房を従えていますが、更衣はもともと「着替えのお世話係」というニュアンスから始まった地位なので、身分が低く、部屋も狭い場所しか与えられませんでした。

ここがポイント
『源氏物語』の桐壺更衣がいじめられたのは、身分が低い「更衣」なのに、帝から一番愛されてしまったからです。「身分不相応だ」「秩序を乱す」と周囲の女御たちから反感を買ったわけですね。

内侍や尚侍と后妃の役割の違い

内侍や尚侍と后妃の役割の違い

后妃(妻)とは別に、宮中で働く女性公務員、いわゆる「女官」の組織がありました。その中心となるのが後宮十二司の一つである「内侍司(ないしのつかさ)」の人々です。彼女たちは本来、天皇の秘書として奏上や伝達を行う役職でした。

ここで注意したいのが、長官である「尚侍(ないしのかみ)」の存在です。本来は女官のリーダーとしてバリバリ働く公務員のトップだったのですが、平安時代になると、摂関家などの有力な貴族の娘がこのポストに就くようになり、実質的には「天皇の側室(妻)」と同じような扱いを受けるようになりました。

一方、次官である「典侍(ないしのすけ)」や、その下の「掌侍(ないしのじょう)=一般的に内侍と呼ばれる」人たちは、実務を行う女官としての性格が強いです。入試で「尚侍」が出てきたら、「役職は女官長だけど、ほぼお妃さま扱いなんだな」と変換して読むのがコツです。

また、これらの女官(上の女房)と、中宮に個人的に仕える女房(宮の女房)は立場が異なります。このあたりの区別については、国立国会図書館のデータベースなどでも詳しく解説されています(出典:国立国会図書館 レファレンス協同データベース)。

中宮職の仕事内容と組織の仕組み

中宮職の仕事内容と組織の仕組み

中宮が女御と決定的に違うのは、「中宮職(ちゅうぐうしき)」という公的な役所がついているかどうかという点です。これは単なる名誉ではなく、実質的な権力の源泉でした。

中宮職は、中宮の身の回りのお世話やスケジュール管理、衣食住の世話、儀式の運営、そして予算の管理などを行う専門機関です。ここには「大夫(だいぶ)」という長官(四位以上の高位貴族が就任)をはじめ、少進、大属といった多くの実務官僚や、警護にあたる男性職員(舎人)が配置されていました。

つまり、中宮になるということは、自分専用の「ミニ政府」を持つようなもの。これによって、天皇から独立した財源と組織を持つことができ、経済的にも政治的にも強力なパワーを行使することが可能だったのです。

文学作品における中宮の重要知識

さて、ここからは実際の古文読解に役立つ知識を深めていきましょう。『枕草子』や『源氏物語』といった有名作品は、中宮やそれを取り巻く人間関係を知っているだけで、面白さが全然違ってきます。

枕草子に見る中宮定子の敬語表現

枕草子に見る中宮定子の敬語表現

清少納言が書いた『枕草子』を読むとき、絶対に避けて通れないのが敬語の問題です。清少納言が仕えた「中宮定子(ていし)」に対しては、通常の尊敬語よりもさらに敬意の高い最高敬語(二重敬語)が使われています。

具体的には、「~させ給ふ」という形が頻出します。これは助動詞「す・さす(尊敬)」と補助動詞「給ふ(尊敬)」を重ねた形で、最大限の敬意を表しています。古文の主語判定問題において、主語が省略されていても、「させ給ふ」が出てきたら、主語は中宮定子(または天皇・院)である可能性が極めて高いです。

注意点
「中納言参り給ひて」のように、「給ふ」が一つだけの場合は、中宮ではなく他の貴族(この場合は定子の兄弟である中納言隆家など)が主語になります。「させ」があるかないかで、動作主が主人(定子)なのか家来(兄弟)なのかを見分けるテクニックは、入試古文の必須スキルですよ!

源氏物語の悲劇と后妃の身分差

源氏物語の悲劇と后妃の身分差

『源氏物語』の冒頭、「桐壺」の巻は、まさにこの階級制度のひずみから生まれる悲劇を完璧に描いています。

主人公・光源氏の母である桐壺更衣は、帝からものすごく愛されていました。しかし、彼女の身分はあくまで「更衣」。本来なら、帝の寝所(清涼殿)に行くためには、もっと身分の高い「女御」たちの部屋(弘徽殿など)の前を通らなければなりません。低い身分の女性が、自分より偉い女御たちの前を堂々と通って寵愛を独占すること自体が、宮中の秩序を乱す生意気な行為だと捉えられてしまうのです。

さらに、彼女には父親(大納言)がすでに亡くなっており、強力な「後ろ盾」がいませんでした。「低い身分 × 後ろ盾なし × 過剰な寵愛」という最悪のアンバランスが、汚物を撒かれるなどの壮絶ないじめを引き起こし、彼女を心労による死に追いやったのです。この構造的要因を理解しておくと、物語の背景がスッと頭に入ってきます。

藤原道長による一帝二后の戦略

藤原道長による一帝二后の戦略

歴史の授業で必ず習う藤原道長。「この世をば わが世とぞ思ふ…」という歌で知られる彼が、なぜこれほどまでの絶大な権力を握れたのか。その最大のからくりこそが、慣例を打ち破るウルトラCの秘策「一帝二后(いっていにこう)」というシステムの確立でした。

本来、日本の法慣習(律令)において「天皇の正妻(皇后)は一人しかいられない」というのは絶対のルールでした。しかし、このタブーを最初に破ったのは、実は道長ではなく、彼の兄である関白・藤原道隆でした。

道隆は、自分の娘である定子(ていし)を強引に天皇の后にしようとしましたが、当時すでに円融天皇の后(藤原遵子)が「皇后」の座にいました。そこで道隆は、以下の屁理屈とも言える言葉のトリックをひねり出したのです。

一帝二后を成立させた論理
「『皇后』というのは国の母としての称号だが、『中宮』というのは役所(中宮職)を伴う職名である。名前が違うのだから、別々に存在しても問題ないはずだ」

こうして、史上初めて「中宮」と「皇后」が分離され、一人の天皇のもとに二人の正妻が並立する事態が起きました。

そして、このシステムを最大限に悪用(活用)したのが道長です。兄の死後、権力を握った道長は、自分の娘である彰子(しょうし)を入内させようとしますが、そこにはすでに定子が「中宮」として君臨していました。そこで道長は、定子を「皇后宮」という名誉職的な地位へ棚上げし、空いた実権のある「中宮」の座に彰子を据えるという荒業に出たのです。

結果として、この「一帝二后」は、単なる定員オーバーの解消策ではなく、藤原氏内部の権力闘争において、自分の娘を「現役最強の妻(中宮)」にするための政治的な装置として機能することになりました。

中宮彰子の入内と定子との関係

中宮彰子の入内と定子との関係

父である藤原道隆が亡くなると、中宮定子の運命は暗転します。後ろ盾を失った彼女に対し、次に権力を握った道長は、自分の娘である「彰子(しょうし)」を一条天皇に強引に入内させます。

このとき、すでに定子は「中宮」の地位にありました。そこで道長は、前述した「一帝二后」の論理を振りかざし、定子を「皇后宮」という称号へ(形だけ)移動させ、空いた実権のある「中宮」のポストに、まだ幼い彰子を据えたのです。実質的には、定子は没落していく旧勢力の象徴となり、彰子は飛ぶ鳥を落とす勢いの新勢力の象徴という、残酷な対比構造ができあがりました。

しかし、このドロドロとした政治闘争こそが、日本文学史上もっとも華やかな「女房文学の全盛期」を生み出すきっかけとなります。

文学サロンの対立構造
落ちぶれゆく定子を精神的に支え、そのサロンを明るく彩るために奮闘したのが清少納言であり、彼女が書いたのが『枕草子』です。
一方、まだ幼く教養不足だった彰子の教育係として、道長にスカウトされたのが紫式部であり、そこで書かれたのが『源氏物語』です。

『枕草子』を読むと、きらびやかで楽しい宮廷生活ばかりが描かれていますよね。実はあれ、書かれた時期は定家が最も追い詰められていた悲劇の最中なんです。清少納言は、悲運の中宮定子を慰めるため、そして主君の栄光を永遠に残すために、あえて現実の「悲哀」を排除し、理想的な「美(をかし)」の世界だけを書き綴ったとも言われています。

「なぜ枕草子には愚痴が書かれていないのか?」その理由が、この中宮交代劇にあると知ると、明るい文章の裏にある切ない願いが見えてきませんか。

古文常識としての中宮のまとめ

古文常識としての中宮のまとめ

最後に、受験生が押さえておくべき中宮に関する重要ポイントをまとめます。

中宮とは、単なる「天皇の妻」というだけでなく、政治的な駆け引きの中で意味が変わっていった称号です。特に、「中宮と皇后は同格」「女御より中宮が格上(公的な役所付き)」「更衣は身分が低い」という3点は必ず覚えておきましょう。

また、敬語の問題では、「啓す(けいす)」という言葉にも注目です。これは天皇に申し上げる「奏す(そうす)」に対し、中宮や東宮(皇太子)に申し上げる時に使う絶対敬語。「啓す」があれば、話しかけている相手は中宮だと特定できます。

まとめ
・中宮は天皇の正妻。皇后と実質同格であり、一帝二后の時代には「新しい正妻」を指す。
・「女御」は大臣の娘、「更衣」は大納言以下の娘という身分差がある。
・定子への敬語は「最高敬語(させ給ふ)」が基本。
・「啓す」は中宮への絶対敬語。

これらの知識を武器に、ぜひ志望校合格に向けて古文の勉強を進めていってください。

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ABOUT ME
たく先生
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現役高校教師
現役の高校教師(指導歴20年以上)で、専門は古典・受験指導。 ファイナンシャル・プランナー2級の資格も持ち、二児(娘二人)の父でもあります。 受験生の親としての悩みも共有しつつ、「教育×IT×お金」の視点で、家計と学力を両立させるための情報を発信中です。
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