【徒然草236段】「丹波に出雲といふ所あり」現代語訳と品詞分解・あらすじを徹底解説!

こんにちは。「たく先生」です。
高校の古典の授業で必ずと言っていいほど扱われる、兼好法師の『徒然草』第二百三十六段「丹波に出雲といふ所あり」。みなさん、この物語を単なる「昔の偉いお坊さんの失敗談」として、ただ笑って終わらせてはいませんか?
実はこの短い段には、現代の私たちにも通じる「思い込みの心理(確証バイアス)」や、当時の「貴重な食文化」、さらには「敬語の複雑な使い分け」など、学ぶべき要素がぎっしりと詰まっています。そして何より、多くの受験生が引っかかる「ある重大な主語の勘違い」が潜んでいるのです。
定期テストや模試でも頻出の箇所なので、「なんとなくストーリーは分かるけど、誰が誰を誘ったのか自信がない…」という状態だと、思わぬところで失点してしまうかもしれません。
この記事では、古典が苦手な人でも物語の背景から文法事項までを完全に理解できるよう、教科書ガイドよりも詳しく、そして分かりやすく解説していきます。聖海上人がなぜ涙を流したのか、そしてその涙がなぜ「無駄」になってしまったのか。その面白さを味わいながら、確実な得点源にしていきましょう。
【この記事を読むことで理解が深まるポイント】
- 教科書ガイドより詳しい、一語一語の正確な現代語訳と品詞分解
- 【要注意】みんなが間違える「誘った人」と「誘われた人」の正解
- 聖海上人が勘違いしてしまった「獅子・狛犬」の配置の真相とオチ
- テストで狙われやすい助動詞「なり」の識別と敬語の方向
丹波に出雲といふ所ありの現代語訳と品詞分解
まずは、物語の全体像を把握することから始めましょう。古文読解において最も大切なのは、実は細かい文法よりも「誰が、どこで、何をしたか」というストーリーの骨格を掴むことです。特にこの段は、冒頭の主語を取り違えると、敬語の問題もすべて不正解になってしまうという「トラップ」があります。ここでは、物語の流れを確認した上で、テスト対策に直結する正確な現代語訳と、重要な文法事項を徹底的に分解して解説します。
1分でわかるあらすじと教訓
この物語のメインキャラクターは、聖海上人(しょうかいしょうにん)というお坊さんです。「上人」という称号がついていることから、それなりに徳が高く、人々から尊敬されている人物であることが分かります。
物語の導入:おいしいお誘いと主役の勘違い
ある秋の日のことです。丹波国(京都府)に「出雲」という土地がありました。そこを治めている「志田(しだ)」さんという地元の有力者が、聖海上人や多くの人々を招待しました。
「さあ、みなさんいらっしゃい。地元の出雲神社にお参りに行きましょう。名物の『かいもちひ(ぼたもち)』をご馳走しますよ!」
おいしいお餅につられて(?)、上人たちは招待客として大勢で賑やかに参拝に出かけます。
【テストに出る最重要ポイント!】
ここで「誘った(主催者)」のは聖海上人ではありません!
主催者=志田のなにがし(志田氏)
客(主賓)=聖海上人
です。教科書や模試では必ずここが問われます。「聖海上人がみんなにご馳走した」と読み間違えないように注意しましょう。

物語の展開:感動の発見
神社に到着し、みんながありがたく拝んでいる最中、客として招かれていた聖海上人はある「異変」に気づきます。なんと、社殿の前に鎮座しているはずの「獅子」と「狛犬」が、お互いに背中を向け合って、後ろ向きに立っていたのです。
通常なら「あれ? 誰かが動かしたのかな? 変だな」と思うところですが、信心が高まっていた上人は違いました。
「すばらしい! あえて後ろ向きに配置するとは、きっと凡人には分からない深い宗教的な理由があるに違いない!」
そう勝手に解釈し、感極まって涙まで流してしまいます。
物語の結末:まさかの真相
上人は周囲の人々にも「あなたたちはこの素晴らしさに気づかないのですか?」と同意を求め、さらには神社の神官を呼び止めて、その由緒を尋ねます。
上人:「この獅子の配置には、さぞ深い言い伝えがあるのでしょうね?」
神官:「ああ、それですか。実は近所のいたずらっ子たちがやったことでして……けしからんことです」
神官はそう言うと、さっさと獅子と狛犬を元の向きに戻して去っていきました。上人が流した感動の涙は、まったくの無駄になってしまったのでした。
【このお話の教訓】
この話は、単に「お坊さんが恥をかいた」という笑い話ではありません。兼好法師は、「権威ある人や知識人であっても、自分の知識や先入観(バイアス)によって、目の前の単純な事実を見誤ることがある」という人間心理を鋭く突いています。「きっと深い意味があるはずだ」と過剰に意味を見出そうとする人間の滑稽さは、現代の私たちにも通じる教訓と言えるでしょう。
教科書に対応した正確な現代語訳
あらすじを理解したところで、実際の本文と現代語訳を一文ずつ丁寧に照らし合わせていきましょう。先ほど確認した「志田さんが主催者」という点を補いながら訳すと、文脈がはっきりします。
| 本文(原文) | 現代語訳 |
|---|---|
| 丹波に出雲といふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。 | 丹波国に出雲という所がある。出雲大社の分霊を迎え祀って、(社殿を)りっぱに造ってある。 |
| しだのなにがしとかや領る所なれば、秋のころ、聖海上人、そのほかも、人あまた誘ひて、 | しだの誰それとかいう者が領有している所なので、(そのしだの誰それが)秋の頃、聖海上人や、そのほかにも、人を大勢誘って、 |
| 「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん。」とて、具しもて行きたるに、おのおの拝みて、ゆゆしく信おこしたり。 | 「さあ、いらっしゃい、出雲大神宮を拝みに。かいもちいをごちそうしましょう。」と言って、(人々を)連れて行ったところ、(神社に着いて、人々は)めいめいに拝んで、甚だしく信仰心を抱いた。 |
| 御前なる獅子、狛犬、背きて、後ろさまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、 | (さて、社殿の)御前にある獅子と、狛犬が、背中を向け合って、後ろ向きに立っていたので、上人はたいへん感動して、 |
| 「あなめでたや。この獅子の立ちやう、いとめづらし。深きゆゑあらん。」と涙ぐみて、 | 「ああすばらしいことだ。この獅子(、狛犬)の立ち方は、まことに珍しい。何か深いいわれがあるのだろう。」と涙ぐんで、 |
| 「いかに殿ばら、殊勝のことは御覧じとがめずや。むげなり。」と言へば、 | 「なんと皆さん、このすばらしいことをご覧になってお気づきになりませんか。(それでは)あんまりです。」と言うので、 |
| おのおのあやしみて、「まことに他に異なりけり。都のつとに語らん。」など言ふに、 | めいめい不思議がって、「本当にほかとは違っているなあ。都への土産話にしよう。」などと言うと、 |
| 上人なほゆかしがりて、おとなしくもの知りぬべき顔したる神官を呼びて、 | 上人はなおも(そのいわれを)知りたがって、年配の、物事を心得ているにちがいない顔つきをした神官を呼んで、 |
| 「この御社の獅子の立てられやう、定めて習ひあることに侍らん。ちと承らばや。」と言はれければ、 | 「この御社の獅子をお立てになるやり方には、きっといわれがあることでございましょう。ちょっと伺いたいものです。」とおっしゃったところ、 |
| 「そのことに候ふ。さがなき童部どものつかまつりける、奇怪に候ふことなり。」とて、 | (それを聞いた神官は)「そのことでございますよ。いたずらな子どもたちがいたしました(ことで)、けしからんことでございます。」と言って、 |
| さし寄りて、すゑ直していにければ、上人の感涙いたづらになりにけり。 | (獅子、狛犬の所に)近寄って、(元のように)据え直して立ち去ったので、(あれほどの)上人の感涙もむだになってしまった。 |
訳出のポイント
特に注意が必要なのは、上人の言葉に対する周囲や神官の反応です。上人が「むげなり(あんまりだ)」と周囲に同意を求めたことで、みんなも「都のつと(土産話)にしよう」と同調しましたが、結局は神官の一言でひっくり返されてしまいます。この「みんなで盛り上がった後にハシゴを外される」展開が、滑稽さをより際立たせています。
テスト必須の品詞分解と意味
ここからは、得点力に直結する文法解説です。特に重要単語や、活用の種類を問われることが多い動詞・形容詞をピックアップしました。ノートに書き写して暗記することをおすすめします。
| 単語 | 品詞・活用形 | 基本形(終止形) | 意味・備考 |
|---|---|---|---|
| 領る(しる) | 動詞・ラ行四段・連体形 | 領る | 領有する、治める。「知る」ではなく「領る」の字を当てるので注意。 |
| なれ | 助動詞「なり」(断定)・已然形 | なり | ~である。直前が名詞「所」なので断定。 |
| あまた | 副詞 | あまた | たくさん、数多く。 |
| 給へ(たまへ) | 動詞・ハ行四段・命令形 | 給ふ | ~なさい、~してください(尊敬語)。 |
| 召さ(めさ) | 動詞・サ行四段・未然形 | 召す | 召し上がる(尊敬語)。※ここでは「振る舞う」意。 |
| 具し(ぐし) | 動詞・サ行変格・連用形 | 具す | 引き連れる、伴う。サ変であることに注意。 |
| ゆゆしく | 形容詞・シク活用・連用形 | ゆゆし | 甚だしく、並々でなく。不吉な意味もあるがここは肯定。 |
| いみじく | 形容詞・シク活用・連用形 | いみじ | たいそう、ひどく。「いみじ」は良い意味にも悪い意味にも使う。 |
| むげなり | 形容動詞・ナリ活用・終止形 | むげなり | あんまりだ、ひどい、最低だ。 |
| つと | 名詞 | つと | 土産話、土産。 |
| ゆかしがり | 動詞・ラ行四段・連用形 | ゆかしがる | 知りたがる。「ゆかし(見たい・聞きたい・知りたい)」の動詞化。 |
| おとなしく | 形容詞・シク活用・連用形 | おとなし | 大人びている、年配である、思慮分別がある。 |
| さがなき | 形容詞・ク活用・連体形 | さがなし | 性質が悪い、いたずらな。 |
| いたづらに | 形容動詞・ナリ活用・連用形 | いたづらなり | 無駄に、むなしく。 |
【学習のポイント】
「具す(ぐす)」は「具しもて」という形になっても、元の動詞はサ行変格活用(サ変)です。また、「おとなし」は現代語の「静かだ」という意味ではなく、「年配で分別がある」という意味で使われる重要単語です。
紛らわしい助動詞なりの識別

先生、この文章には「なり」がたくさん出てきて混乱します。「~である」だったり「~になる」だったり……どうやって見分ければいいんですか?

素晴らしい着眼点ですね、みちかさん! 実は「なり」の識別は、大学入試や定期テストで最もよく出る文法問題の一つなんです。まずは全体像として「4つのパターン」があることを知っておきましょう。
古文の「なり」は、大きく分けると以下の4種類に分類されます。
【「なり」本来の4つの正体】
- 断定・存在の助動詞(~である・~にある)
- 伝聞・推定の助動詞(~そうだ・~ようだ)
- 形容動詞の活用語尾(~だ)
- 動詞「なる」(~になる)
見分けるための最大のヒントは「直前にどんな言葉(品詞)が来ているか」です。
今回の『徒然草』の段には、このうちの「伝聞・推定」以外の3つが登場します。それぞれの見分け方を、本文の例文を使って詳しく解説しますね。
1. 断定の助動詞「なり」(意味:~である)
この物語で最も多く登場するのがこのパターンです。体言(名詞)や連体形の下に付きます。
- 本文の例:「領る所なれば」
- 解説:直前の「所」は名詞(体言)です。したがって、この「なれ」は断定の助動詞「なり」の已然形となります。
訳:「領有している所であるので」 - 本文の例:「奇怪に候ふことなり」
- 解説:直前の「こと」は名詞(形式名詞)です。これも断定です。
訳:「けしからんことでございます(丁寧な断定)」
【裏技チェック】
断定の「なり」は、「~であり」と言い換えて意味が通じれば正解です。
例:「領る所であれば」→ 通じる!
2. 動詞「なる」(意味:~になる)
これは助動詞ではなく、普通の動詞(ラ行四段活用)です。状態の変化を表します。
- 本文の例:「感涙いたづらになりにけり」
- 解説:「いたづらに(無駄に)」という言葉に続いて、「無駄になってしまった」と変化を表しています。これは動詞の連用形です。
3. 形容動詞の活用語尾(ナリ活用)
「~なり」全体で一つの形容動詞となっているパターンです。「なり」だけを切り離すことはできません。
- 本文の例:「むげなり」
- 解説:「むげなり」で「あんまりだ」「ひどい」という意味の形容動詞です。「静かなり」や「あはれなり」と同じ仲間ですね。
【裏技チェック】
形容動詞は、直前に「いと(とても)」をつけても自然です。
例:「(いと)むげなり」→「とてもひどい」→ 自然!
4. 伝聞・推定の助動詞(今回は登場なし)
この段には出てきませんが、「終止形(ラ変型には連体形)」に接続する場合は「~そうだ(伝聞)」「~ようだ(推定)」という意味になります。
(例:男もすなる日記 = 男も書くという日記)
「なり」の識別について、もっと深く学びたい、伝聞・推定も含めて完璧にしたい!という人は、こちらの詳細記事もぜひ参考にしてください。

複雑な敬語の種類と敬意の方向
『徒然草』のような説話文学では、登場人物の身分関係によって複雑な敬語が使われます。この段では「志田(主催者)」「上人(客)」「神様」「神官」が登場し、誰が誰に敬意を払っているのかが非常にややこしくなっています。冒頭の主語が「志田」になることで、敬意の方向がどう変わるのか、整理しておきましょう。

【登場人物の整理】
- 志田のなにがし:この遠足の主催者(スポンサー)。ぼたもちを奢ってくれた人。
- 聖海上人:招待されたメインゲスト。偉いお坊さんだが、早とちりをした人。
- 獅子・狛犬:後ろ向きに置かれていた石像。
- 神官:神社の管理をしている人。真実(子供のいたずら)を告げた人。
①「いざ給へ(たまへ)」
- 品詞分解:動詞「給ふ」の命令形
- 敬語の種類:尊敬語(~なさい、~してください)
- 話し手:志田のなにがし(土地の領主)
- 敬意の方向:志田から → 聞き手(聖海上人や人々)へ
- 解説:主催者の志田さんが、客である上人たちに「いらっしゃい」と敬語を使っています。この「いざたまへ」は慣用句としてよく使うので、「さあ、いらっしゃい」と覚えておくと、非常に便利ですよ!
②「かいもちひ召させん」
- 品詞分解:動詞「召す(尊敬)」+助動詞「す(使役)」+助動詞「む(意志)」
- 敬語の種類:「召す」は本来「食べる・着る」の尊敬語ですが、ここでは「(皆さんに)召し上がらせよう」=「ご馳走しよう」という文脈です。
- 話し手:志田のなにがし
- 敬意の方向:志田から → 食べる人(聖海上人や人々)へ
- 解説:「私が(あなたたちに)ご馳走しよう」という構造です。食べる人への尊敬語が使われています。
丹波に出雲といふ所ありのオチと舞台の場所
文法の基礎を完璧に押さえたところで、次は物語の内容面、特にこの話の「面白さ」について深掘りしていきましょう。なぜ兼好法師はこの話を書き残したのでしょうか? 単なる笑い話の裏に隠された意図を読み解きます。
聖海上人の失敗と笑いのオチ
この物語の最大のポイントは、徳の高いはずの「聖海上人」が盛大に勘違いをしてしまうプロセスにあります。
確証バイアスの罠
上人は、獅子と狛犬が後ろを向いているのを見て、「いみじく感じ(たいそう感動して)」涙まで流してしまいます。冷静な目で見れば「誰かが動かしたのかな?」「壊れているのかな?」と疑うのが自然です。
しかし、上人の頭の中には「ここは由緒ある出雲の神社だ」という強いリスペクトがありました。そのため、目の前の「異常事態」を「深きゆゑあらん(深い理由があるに違いない)」と、自分の都合の良いように、高尚な理由へと脳内変換してしまったのです。
この時の上人の様子を漫画で見てみましょう。

知識人の陥りやすい穴
これを現代の心理学用語で「確証バイアス」と呼びます。人間は、自分の信じたい情報を集め、反証となる情報を無視する傾向があります。
兼好法師が描きたかったのは、「偉いお坊さんでも、いや、偉いお坊さんだからこそ、自分の知識や権威に縛られて、目の前の単純な真実が見えなくなることがある」という皮肉です。この「高尚な期待」と「俗っぽい現実」のギャップこそが、この随筆の笑いの本質なのです。

獅子と狛犬が背を向けた理由
上人の高尚な感動をよそに、明かされた真相はあまりにも拍子抜けするものでした。
神官は、上人の問いに対して事務的にこう答えます。
「さがなき童部どものつかまつりける(いたずらな子供たちがいたしましたことで)」
聖なる場所と子供たち
真相は、「近所の悪ガキたちが境内で遊んでいて、獅子と狛犬をくるっと後ろ向きにしてしまっただけ」でした。上人が涙まで流して感動した「深きゆゑ」など、どこにも存在しなかったのです。
当時の神社やお寺の境内は、子供たちの格好の遊び場でもありました。神聖な場所でありながら、子供の生活空間でもあったという、中世ののどかな風景が目に浮かびます。
「いたづらになりにけり」のダブルミーニング
最後の結びの文「感涙いたづらになりにけり」は、「涙が無駄になった」という意味ですが、子供の「いたずら(悪ふざけ)」とかけているとも読み取れます。兼好法師のニヤリとした表情が見えるような、見事なオチと言えるでしょう。
舞台の場所は亀岡の出雲大神宮

実は、この舞台となった神社は今も実在するんです。「丹波に出雲といふ所あり」のモデル、気になりませんか? 実際に訪れることで、物語のリアリティがぐっと増しますよ。
物語の舞台は、現在の京都府亀岡市千歳町にある「出雲大神宮(いずもだいじんぐう)」です。
「元出雲」というミステリー
この神社は、地元では通称「元出雲(もといずも)」と呼ばれています。 『徒然草』の本文には「大社を移して(島根の出雲大社から神様を移して)」と書かれていますが、実は出雲大神宮の社伝(神社の公式記録)では、「ここから島根へ神様が移った」という逆の伝承を持っています。つまり、こちらが本家だという主張です。
兼好法師は都の人々の認識(島根が本家)で書いていますが、実際にはもっと複雑な歴史背景があったのかもしれません。こうした「書物と現実のズレ」を見つけるのも、古典探訪の醍醐味です。
現在の出雲大神宮
- ご利益:日本一の縁結びの神様として有名です。
- 境内:本殿は国の重要文化財に指定されており、非常に厳かな雰囲気です。
- 狛犬:現在はもちろん、正しい方向を向いて鎮座しています(笑)。
(出典:丹波国一之宮 出雲大神宮 公式サイト)
兼好法師が描くかいもちひ
冒頭で上人が(正しくは志田さんが)振る舞った「かいもちひ(ぼたもち)」。これを単なるおやつと侮ってはいけません。ここにも重要な歴史的背景が隠されています。

中世のスイーツ事情
鎌倉・室町時代において、現代のような精製された砂糖は非常に貴重で、めったに口にできるものではありませんでした。甘味といえば、アマヅラ(ツタの樹液)や水飴、そして穀物本来の甘みくらいです。
そんな時代において、もち米や小豆を使った「かいもちひ」は、腹持ちもよく、庶民にとっては最高のご馳走(スーパーフード)でした。

先生、ぼたもちとおはぎって、何が違うんですか?

いい質問ですね!実は基本的には同じものなんですよ。春は牡丹の花に見立てて「牡丹餅(ぼたもち)」、秋は萩の花に見立てて「お萩(おはぎ)」と呼び分けます。このお話は「秋のころ」と書かれているので、現代風に言えば「おはぎ」と呼ぶのが正しいかもしれませんね。
志田の財力と人間性
「かいもちひをご馳走するから」と言って大勢の人を集められるということは、主催者である志田氏には、それだけの経済力(財力)があったことを示唆しています。
また、「信仰心」だけで人を集めるのではなく、「おいしいもの」という俗世的な欲望(エサ)で人を釣って連れて行く姿には、昔の人も今の人も変わらない、少し人間くさいチャーミングな一面が表れています。兼好法師は、こうした人間の「俗」な部分を決して否定せず、愛着を持って描いているように感じられます。
丹波に出雲といふ所ありの学びとまとめ
最後に、この第二百三十六段から私たちが学べることをまとめておきましょう。テスト前の最終確認として活用してください。
【まとめと学習の指針】
- 重要!主語の把握:
冒頭で人々を誘い、かいもちひを振る舞ったのは「聖海上人」ではなく「志田のなにがし」です。ここさえ間違えなければ、敬語の問題もクリアできます。 - 事実をありのままに見る大切さ:
権威や「こうあるべき」という先入観に囚われると、目の前の単純な真実が見えなくなってしまいます。常にフラットな視点を持つことの重要性を説いています。 - 過剰な意味付けへの警鐘:
なんでもかんでも「ありがたい」「深遠だ」「スピリチュアルだ」と持ち上げる態度は、時に真実から遠ざかり、滑稽な結果を招くことがあります。
「丹波に出雲といふ所あり」は、ただの笑い話ではなく、情報に踊らされがちな現代の私たちにも通じる鋭い教訓を含んでいます。「自分も聖海上人のようになっていないかな?」と自問しながら、この物語を楽しんでみてください。古典の世界が、ぐっと身近に感じられるはずです。









