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妻問婚とは?通い婚との違いやいつまで続いたかを古典のプロが解説【4コマ漫画付】

妻問婚とは?通い婚との違いやいつまで続いたかを古典のプロが解説
たく先生
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こんにちは。ミチプラス、運営者の「たく先生」です。古文の授業で「妻問婚」という言葉が出てきて、なんとなく昔の結婚スタイルだとは分かっていても、具体的にどういう仕組みなのかイメージしづらいですよね。

「通い婚と何が違うの?」「なんで男の人は夜にこっそり来るの?」と疑問に思うことも多いはずです。この記事では妻問婚の読み方や意味はもちろん、いつまで続いたのか、なぜ廃れた理由があるのかといった歴史的な背景まで解説します。

また現代の通い婚との違いやメリットとデメリット、源氏物語との関係や週末婚と似ている点などについても触れていきますので、古典常識としてだけでなく現代の結婚観と比較しながら楽しく学んでいきましょう。

記事のポイント
  • 妻問婚の基本的な仕組みや読み方、儀式の流れがわかる
  • 現代の通い婚との決定的な違いやメリット・デメリットを理解できる
  • 平安時代の摂関政治や『源氏物語』と妻問婚の深い関係を知れる
  • 妻問婚がいつまで続き、なぜ廃れてしまったのか歴史的背景を学べる
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妻問婚とは?平安時代の古典常識を完全解説

まずは、妻問婚という言葉の基本的な意味や、当時の社会でどのように行われていたのか、その具体的な中身について見ていきましょう。現代の感覚とは少し違うルールや儀式がありますが、これを知ると古文の世界がぐっと身近になりますよ。

妻問婚の読み方と基本的な意味

まず最初に読み方ですが、「妻問婚」は「つまどいこん」と読みます。教科書や参考書によっては「妻問い(つまどい)」や「妻処婚(さいしょこん)」と書かれていることもありますね。

これは簡単に言うと、夫婦が一緒の家に住まず、夫が妻の家に定期的に「通う」結婚のスタイルのことです。現代の結婚と言えば「結婚したら一緒に住む」のが当たり前ですが、平安時代を中心とした古代の日本では、別々に暮らすのが普通でした。

「問う」という言葉に込められた意味

「妻問い」の「問う(訪う)」という言葉には、単に訪問するという物理的な移動だけでなく、魂の交流や深い契りを求めるという意味が込められています。古くは『万葉集』の時代から、男性が女性のもとへ通う行為は、一種の精神的な儀式でもありました。

夫は夜になると妻の実家へ通い、朝になると自分の家へ帰る。これを繰り返すのが、妻問婚の基本的な形なんです。つまり、夫婦生活の中心はあくまで「夜」であり、昼間はそれぞれの家で別の生活を送っていたわけですね。

妻問婚と通い婚の違いをわかりやすく

「それって、現代の『通い婚』と同じじゃないの?」と思った人もいるかもしれません。確かに「別々に住んで通う」という点では似ていますが、その中身や社会的な背景は全く違います。

最大の違いは、「子供をどこで誰が育てるか」という点と、その背景にある「母系社会」という仕組みです。

【ここが違う!妻問婚と現代の通い婚】

妻問婚(古代・平安時代):
社会の「制度」として当たり前に行われていたもの。子供は完全に妻の実家(母方)で育てられ、経済的な負担も妻の実家が背負うことが多かった。

現代の通い婚:
仕事の都合やライフスタイルに合わせて、夫婦が話し合って決める「選択肢」の一つ。子供の養育や生活費は夫婦で協力するのが基本。

妻問婚では、生まれた子供は妻の一族として、母方の実家で育てられます。父親はたまに子供に会うだけの存在になることも多く、子供にとって一番身近な大人の男性は「父親」ではなく「母方の祖父」や「母方の叔父」だったりするんです。

三日夜の餅などの儀式と妻問婚の流れ

では、当時の男性はどうやって結婚したのでしょうか。ただ通えばいいというわけではなく、ちゃんとした儀式がありました。ここでは、求婚から正式な結婚成立までの流れを整理してみましょう。

1. 求婚と「ヨバイ」

最初は和歌を送り合ったり、仲介者を通じたりして気持ちを確かめ合います。合意ができると、男性が夜陰に乗じて女性の部屋に忍んでいきます。これを古語で「ヨバイ(呼ばい)」と言いますが、この段階ではまだ周囲には秘密にされている「密通」に近い状態です。

2. 露顕(ところあらわし)

これが正式な結婚として認められるためには、「露顕(ところあらわし)」という儀式が必要でした。具体的には、男性が三夜連続して女性のもとに通うことで「遊びではなく本気である」という意志を示します。

そして三日目の朝、男性は隠れることなく堂々と女性の親族と顔を合わせます。ここで初めて、二人の関係が公(おおやけ)のものとなるわけですね。

3. 三日夜の餅(みかよのもちい)

露顕の儀式の中で最も重要なのが、「三日夜の餅(みかよのもちい)」という特別な餅を二人で食べる儀式です。これは、妻の一族の魂を取り込んで、新しい親族関係を結ぶという意味があったと言われています。

豆知識:三日夜の餅の作法
銀の皿に乗せられた3つの餅が出されますが、男性はこれを全部食べずに少し残すのがマナーだったそうです。全部食べると「食い意地が張っている」と思われたのかもしれませんね。この儀式を経て、男性は晴れて「婿」として妻の家に迎え入れられます。

源氏物語にも描かれる妻問婚の実際

皆さんもよく知る『源氏物語』の世界は、まさにこの妻問婚がベースになっています。光源氏はたくさんの女性と関係を持ちますが、基本的には彼が女性たちの家を順番に(あるいは気まぐれに)訪ねていくスタイルですよね。

「待つ女」の苦しみと「枯れ」

ここで重要なのが、女性側の「待つ苦しみ」です。妻問婚では、夫がいつ来るかわからない、あるいは他の女性のところに行ってしまって全然来ない(足が遠のく)ということが頻繁に起こります。

これを当時の言葉で「枯れ(離れ)」と言い、夫が来なくなることは事実上の離婚を意味しました。現代のように離婚届を出す手続きなどありませんから、夫の足が途絶えればそれで終わりなんです。

『源氏物語』の中で、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が生霊になってしまうほど嫉妬に狂ったのも、この「待つことしかできない」妻問婚という制度が背景にあったからこそと言えるでしょう。自分から会いに行くことが許されない女性たちの無念さが、物語の根底には流れているんですね。

妻問婚のメリットとデメリットとは

現代から見ると不便で理不尽そうに見える妻問婚ですが、当時の社会にとっては合理的な理由(メリット)もありました。一方で、当然ながらデメリットも存在します。これらを整理して理解しておきましょう。

メリット育児のサポートが手厚い
妻の実家(祖母や親戚)が総出で子育てを手伝ってくれるため、乳幼児死亡率が高かった当時、子供の生存率を上げられました。 政治的な力が強まる
天皇の外祖父(母方のおじいちゃん)になることで、実家が権力を握ることができました(摂関政治)。
嫁姑問題が少ない?
夫の両親と同居しないため、嫁姑のトラブルは現代より少なかったかもしれません。
デメリット妻の実家の負担が重い
夫やその従者をもてなす費用はすべて妻の実家持ち。経済力がないと結婚生活を維持できませんでした。
関係が不安定
夫の足が遠のけばそれで終わり。女性の精神的な負担が非常に大きいです。
父親の影が薄い
子供はずっと母方の実家で育つため、父親との関係が希薄になりがちでした。

経済力が愛を左右する?

特に重要なのは、「経済力がないと結婚を維持できない」という点です。『今昔物語集』には、妻の実家に夫をもてなすお金がなくて、夫が寄り付かなくなってしまった話も残っています。愛だけではどうにもならない現実があったんですね。このあたりを知ると、古典作品の登場人物たちの行動原理がより深く理解できると思います。

妻問婚はなぜ廃れた?歴史の変化と現代

そんな妻問婚も、時代の変化とともに徐々になくなっていきます。ここでは、いつ頃から変わっていったのか、そして現代の私たちの生活とどうつながっているのかを見ていきましょう。

妻問婚はいつまで続いた制度なのか

妻問婚が一般的だったのは、主に奈良時代から平安時代の中頃までです。およそ数百年にわたってこのスタイルが続いていました。

しかし、平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて、社会の仕組みが大きく変わるとともに、結婚の形も変化していきます。だんだんと夫が妻の家に住み着くようになり、最終的には妻が夫の家に移り住む形へとシフトしていったのです。

婿入婚や嫁入婚へ移り変わった理由

なぜ妻問婚は廃れてしまったのでしょうか。大きな理由は「武士の台頭」と「社会の変化」です。

平安末期から武士が力を持つようになると、土地や家を守ることが何よりも重要になりました。武士にとって「家」は軍事組織の単位でもあります。そうなると、ふらふらと通っているような不安定な関係よりも、夫婦がガッチリと同じ家で暮らして、一族で家を守っていく「同居」の方が都合がよくなります。

【婚姻形態の移り変わり】

  1. 妻問婚(通い):夫が妻の家に通う。
    (平安中期まで)
  2. 婿入婚・婿取婚(同居):夫が妻の家に入り込んで一緒に住む。
    (平安末期〜鎌倉初期)
  3. 嫁入婚(同居):妻が夫の家に入って一緒に住む。
    (鎌倉中期以降〜現代)

このように、まずは夫が妻の家に住む「婿入婚(むこいりこん)」になり、その後、鎌倉時代以降に父系社会(父親の血筋を重視する社会)が強まるにつれて、現在のような「嫁入婚(よめいりこん)」が定着していったのです。

妻問婚と摂関政治の深いつながり

日本史で習う「摂関政治(せっかんせいじ)」を覚えていますか? 藤原道長が「この世をば…」と詠んだあれです。実は、妻問婚というシステムがあったからこそ、摂関政治は成立しました

どういうことかと言うと、妻問婚では「子供は母方の実家で育つ」のでしたよね。つまり、天皇の子供(次の天皇)も、お母さんの実家である藤原氏の家で育てられるわけです。

小さいうちからお世話をしてくれた「おじいちゃん(藤原氏)」に、天皇が懐くのは当然ですよね。だからこそ、天皇が大人になっても外祖父である藤原氏が強い権力を持つことができたんです。妻問婚がなくなって子供が父方で育つようになると、この摂関政治も自然と終わっていきました。

現代の週末婚は妻問婚と同じなのか

最近では、あえて一緒に住まない「週末婚」や「別居婚」を選択するカップルも増えています。これはある意味、妻問婚の現代版と言えるかもしれません。

「適度な距離感があっていい」「お互いの仕事を尊重できる」というメリットは、昔も今も共通しています。ただ、決定的に違うのは「女性の自立」という点でしょう。

平安時代の女性は、実家の経済力に頼らざるを得ない面がありましたが、現代の週末婚は、お互いが経済的に自立しているからこそ成り立つ対等なパートナーシップです。形は似ていても、その中身は大きく進化していると言えそうですね。

まとめ:妻問婚を理解して古典を楽しもう

今回は、古典常識として欠かせない「妻問婚」について解説しました。単なる昔の結婚スタイルというだけでなく、そこには政治や経済、そして男女の切実な感情が絡み合っていたことが分かったかと思います。

古文を読むとき、「なんでこの男の人はなかなか来ないんだろう?」「なんでおじいちゃんがこんなに偉そうなの?」と思ったら、この妻問婚の仕組みを思い出してみてください。きっと物語の背景がより深く理解できるはずですよ。

たく先生
たく先生

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現役高校教師 / 国語科
指導歴20年以上。西日本の私立高校で、古典と「最短ルートで合格する勉強法」を教えています。 教師の枠を超え、FP2級・簿記3級も取得。「賢く学び、賢く生きる」ための知識を、本音で発信します。
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